のらりくらり至上主義

筋トレと美味しい食事、投資と機械学習、いきものと水。それが人生なんだよなぁ。

筋トレって、何を目指しているの?と聞かれたら君はなんと答えるだろうか

筋トレです。

 

ある日、同居人に、「筋トレって、一体なにを目指しているの?」と聞かれました。

答えられますかね。トレーニーの君たちは。

もちろん、ヨガとか、ちょろっとシェイプアップ、とかだったら難なく答えるでしょうよ。そしてそれを誰も疑問に思わない。

でも、筋トレが趣味だ、といった時の多くの反応は、「目的はなんなんだ?」となるわけです。

不思議なことに。これが趣味は水泳です、草野球です、とかではそういった反応にはなるまい。あ、でもトライアスロンです、と言ったら「目的はなんぞや」と問われそう。

要は、”端から見たら苦行でしかないことをどうやって趣味に仕立て上げられようものか”とばかりに、聞きたくなるんでしょう。

 

僕の好きなあるYoutuberの一人、コアラ小嵐さんはね、こう答えてました:

「ボディメイクしてかっこよくなりたいじゃないですか、もてたいじゃないですか」

それはそれで正解で、自分に正直で、非常に良いと思います。

また、彼が言っていた、「筋トレはおしゃれな服を着たいのとかと一緒。良く見せたいの。でも日本人はボディメイクについてまだまだ興味がない」というのも至極正論だと思う。

あと、「筋トレはお笑い(彼の人生の挑戦)と違って、やればやるだけ成果が着実に出て、ストレスや不安も解消される」というのも、同意です。

 

では、僕にとっての筋トレとは何ぞや。

勿論、上の理由全ても当てはまります。大きなウェイトを占めています。

鏡を見て、おお肩がだんだん張り出してきたじゃないかとか、

広背筋が厚みを帯びてきたじゃないかとか、喜びますよ、そりゃあ。

でも、あと一個だけ、そして僕に大事なものがある。

 

 

それは、「自分の限界との勝負を頻繁に出来ること」だと思う。

 

毎セット、あと一回できそうか出来なさそうか、というとき、めっちゃ辛いです。

やめるのは簡単。でも、たぶん真剣に集中して、動かす部位を意識したら、たぶんあと一回できちゃう。ここを何とか乗り越えるんです。その時の充足感は、素晴らしいものがある。

 

年齢を重ねてくるにつれて、人生、リスクを取るのが怖くなる。

自分の限界が分かってくるから。「あの時は若かったなぁ」なんて言って、若いからあの時はあれが出来たんだと、粘り強かったんだと、言い訳するのだ。

でもそれは、若いからじゃない。限界ギリギリの勝負をする度胸があったからなんだよ。その度胸を、年月を経て、人は徐々にすり減らし、萎縮させ、かつてのみずみずしい弾力さの面影はやがて姿を消す。

 

で、筋トレは、常に自分の精神(諦めたい心)と、肉体の限界とのせめぎ合いをしなきゃならんのです。そうすると自然に、脳は覚えてくる。「あぁ、思考回路をぐるぐる周る理性がいう”限界”ってのは、案外そうでもないもんだ」と。これが、人生の成功に繋がる。

 

結局、これ、筋トレするとポジティブ思考になるっていうのと繋がってるのかな。

 

この積み重ねは、はっきり言って修行でしょう、苦行でしょう。

でも、だからこそやる価値があるの。

と僕は胸(大胸筋)を張って高らかに主張したい。

 

でも、こんなこと説明しすぎてたら長すぎるから、普段は返答できない。

ううむ、困った。