のらりくらり至上主義

筋トレと美味しい食事、投資と機械学習、いきものと水。それが人生なんだよなぁ。

国際学会で聴いたキーノートスピーチで挫折しそうになった話。

英国生態学会British Ecological Society)にて

今月は初めて、英国生態学会に出てみました。

というのも、ヨーロッパ4つの生態学会合同大会ということで、かなり規模が大きく、視野を広げるには良かろうという事で。

で、結果として、知り合いにも色々会えて、自分も徐々にヨーロッパのネットワークが出来てきつつあるなぁと良い実感を得た一方、キーノートでやられました。

 

「科学の化け物」がそこにはいた・・・

化け物がいたんです。科学、ひいては人類の発展のために生まれたような鬼才が。

そのえげつない発表のレベルを目の当たりにして、挫折しかけました。今まで自分が(それに参加しているほとんどの研究者ら)行ってきた研究のスケールの小ささに、茫然というか。

 

それは最終日のキーノートスピーチでのことでした。

講演者は Iian Couzin。集団行動学(Collective behavior)の研究者で、かの有名なMax Plank Instituteの集団行動学部門の長,兼ドイツのコンスタンツ大学の生物多様性・集団行動学部門の長。 

それまでこの人のことは知りませんでした。というか、集団行動という研究分野に触れることがなかった。

 

で、この人がすごい。

まず業績は毎年Science, Nature, PNASあたりは当然のごとく、すでに引用回数は10000回を突破(まだ若そう。40そこら?)、数々の国際Awardを毎年のように受賞している人です。

更に、32億円かけてコンスタンツ大学の部門・施設とかを作っちゃった。ドイツはこの人を国宝級(英国人ではあるけれど)の扱いをし、破格の投資をしているなぁ、という印象。

受けた印象だと、もう論文を超一流誌に出す、とかは彼にとってはそんなに重要ではない。ただ、自分の面白いと真に思う研究を幾多もやりとげ、科学の真理の探求をしたい、という欲求に誰よりも素直な人。

そして、彼の追究する科学自体が集団行動学のみならず、心理学、政治学社会学人工知能生態学保全そのた諸々に関連しており、彼は柔軟にその全てを包括してみせている。

まぁ詳しくは、彼の名前をググれば、スピーチの動画が出てきたりするので、是非。

www.youtube.com

とりあえず5分の短いものはこれ。

 

極めてシンプルな着想から、複雑な事象を読み解く

・・・で、挫折しないように、なんとか彼から得られるものを考えたんです。

 

それが、「極めてシンプルな着想から、複雑な事象を読み解く」ということです。

 

シンプルな着想・理論式ほど、汎用性が高く、頑強だったりしますよね。

NewtonのF=maしかり、Lokka-VolterraのPredator-preyしかり、Logistic growthしかり。

それは、「真理」のかけらを掴んでいるからだと思う。物事の大半が従っている法則を、的確に表現できた結果、それは不変で、様々な分野での応用がなされる基盤を構築する。

彼の場合は、2匹のメダカ同士が、どうやってお互いの位置や移動速度・角度を調和させるか、というのを一見かなり簡単な数式で仮定しました。集団行動をとるためには、お互いのそれらが影響を与え合う、という簡単なもの。

 

そこから、じゃあ100匹ならどうだろう?という疑問に発展させ、集団行動の移動パターンが実際3パターン程度しかないことを突き止めたり、

100匹いるうちの誰が(もしくはどの程度の割合が)全体の方向性を決定づけているのか?

2つの意見の異なるグループが混じっていた場合、大多数が特に意見が無い場合、集団はどういった行動を示すか?それは迎合するのか?

意見の違いの程度の差はどの程度まで許容されるか?

少数派と多数派の意見の違いはどう反映されるか?

Silent majorityが及ぼす影響は?

 

といった問いにテンポよく、かつ明瞭に答えていく。

それは、全てが元の単純な理論式に収斂していくから。

全ての問の根源が、単純な理論式から発展したものだから。

 

・・・そうまとめてしまうのは簡単なんだけど、

1)そんな理論式をそもそも見つけられるかどうか

2)そんな理論式からそこまで多様に物事を発展させられるのか

 

というのは、本当に研究者の度量と運が大きいんじゃないかと思う。

 

ということで、自分が研究(を含め人生それ自体)で何を成し遂げたいのか、というのをもっと考えないとなぁ、と思った次第でした。

 

 

 

ポスドクあるある(その3):「みんなーオラに元気を分けてくれぇぇ!!」国際学会編

12月に入って

あかん、、、12月はやっぱり毎年極めててんわやんわです。

みんなX'mas前に何かしら一区切りつけたい、という思惑から、

「○○日までに、原稿を読んでコメント下さい」

みたいなんがたんまりきます。しんどい。

 

学会は自分の発表に意見をもらう場ではない

あえて語弊を招く書き方をしています。

発表したものに有益な意見をもらおう、というのは勘違いだと思います。

いや、なくはないんだけど確率的にまれなんです。

なんせ発表は10分そこらなわけで、そこからかいつまんだ話をした際に、

どうも細かい所は語れないので、やっぱり聞き手もなんとなくしか分からない。

ということで、その直後に有益なコメントをする、というのは難しい。

 

どちらかというと、質疑応答が大事で、

 1.質疑応答でコメントしてくれた人と顔見知りになろうとする

 2.質疑応答で知り合いになりたい人にコメントする

・・・で、知り合いになるよう後で話す。要はネットワーキングが大事。

 

学会は、日々閉鎖的にひきこもりがちな研究者たちが一同に集まり、

「僕はこんなことをしています」

「ああ、いつぞやお会いしました、ひさしぶり!」

なんてSocial Lifeを数日間楽しむ場所です。

 

で、日々細かいことに没頭して、

「あぁ、自分はどんどん社会から無縁になってゆくなぁ」

という侘しい感情を 打ち消すのです。

 

知り合いや、似た研究をしている人たちとのクラスターに属していることを再認識し、

元気をもらう。やる気を充実させる。それが学会の大事なところだと思う。

 

ということで、今週は元気玉を作ってきたのでした。

これを今ある山のような作業にぶつけてやる!!

ポスドク:今年の研究業績。

主著として国際誌3篇、共著で国際誌1篇と和文1篇。

今年の研究業績を振り返ってみると、

主著は全て生態学系の雑誌でEcography (IF 5)、Ecosphere (IF3)、Journal of Biogeography (IF4)。共著はNew Phytologist (IF 7)と応用生態工学会誌。

 

今年初めて一流といえるような生態学の国際誌に論文を出せるようになったのは、

非常に嬉しい限りですな。実力がついてきた証拠か。

まぁ水文学とか工学を勉強してきた分、かなり基礎知識とか思考のプロセスで

生態学を学部からやってきた人から比べるとやはりビハインド感は否めないのだけど、

なんどもRejectを受けながらも食いしばって修正を加えてきたのが良かったと思う。

 

ちなみにちょこちょこ興味のあるトピックを変えてきているせいで、毎回どうも文献調査不足を突っ込まれます。また、論文をぱぱっと書ききることはできないです。

ただそれでも、これまで年1篇しか国際誌出せなかった頃に比べると、だいぶよい。

 

もっと良く出来るだろうけどとりあえず今年は良く頑張ったかなぁ。

 

文章の精密さが足りない。

査読者にけちょんけちょんにされるのは、相変わらずしんどい。

大抵、「ストーリーと主張が良く分からない」と言われます。

ただ、そのおかげで「ああ、自分が本当に主張したかったストーリーはこうか」と気づかされることもしばしありました。

文章をたくさん書くんだけど、いまいち本当の本当に、自分の研究が学術的になぜ価値があるか、を語弊がなく主張する、って難しいのよなぁ。

特に目的の部分で、少しでも単語が抜けていて、読み手に誤解やあいまいな解釈の余地を与えてしまうと、結構だめです。経験上。

 

で、これは結局、どういったところを書き損ねると致命的かとか、どういう風に書くと読み手にほぼ誤解なく伝わるのか、という知恵と経験が必要だと思います。

もちろん、英語力のせいで誤解を引き起こしているであろう点もたくさんあるはずだが。でも英文校閲とか出さなくても投稿できるレベルにはなったので、どちらかというと、やはり細心の注意を一文一文に払えるかどうか、が大事に思います。

 

自分の学術的な長所・短所に徐々に気づく

これは大きな収穫だったと思います。

結局、頭の中が工学で積み重なってきているので、数式とか、解析の能力は非常に長けている。生態学でもかなり上位のはず。

一方、どうがんばっても、生態学的な理論に基づいた考察、というのは苦手です。たぶん、知識が足りなすぎる。

なので考察がついつい解析自体に関することに比重が置かれてしまい、理論生態学者とか、フィールドの人からしたらどうでもいいことばかり書いてしまう。

まぁ、開き直って解析の最先端をしっかり追っていく、というのが一番なのでしょうかね。でもそうすると、生態学的に面白い知見(要はインパクトのある研究)は得られにくいんだよなぁ。コンセプトが面白くなきゃいけないので。

面白いコンセプトを思いつく能力、というのが研究者で一番大事な気がします。

ポスドクあるある(その2):論文が書けない!~過去の亡霊がうろつく編~

あなたの後ろにも・・・

いませんか?亡霊が・・・

論文の体裁さえ整えば投稿できるのに、放置されている結果・・・

一念発起して投稿したのに、Rejectされ、放置されている原稿・・・

このアイデアはすごいぞ!と興奮したはいいが、いつになったら開始されるか分からない研究テーマ・・・

 

これらのことを僕とその周りはゴーストやゾンビと呼び、

怖い話は苦手なので、基本的に目をそむけ、耳をふさぎ、

亡者らの囁きに、蠢きに気づかないようにしています。

 

おお、怖い怖い。

皆もってると思うので、あとは何体引き連れているのか、ですね。

僕は、5体はいます。

 

成仏できるのか?悪霊退散!!

悪霊なんて呼んじゃかわいそうですね。彼らに悪意はない。

運が良ければ、共著者の誰かが事を運んでくれますね。

でも、そんなことは、本当にレアチーズいや、レアケース。期待できない。

 

じゃあ、やっぱり自分がやるしかないんだよ、除霊を、うぅ。

最近、研究室を持っているトッププレイヤーを見てて思うのですが、

この除霊が極めてうまい。もちろん彼らの元には優秀な学生が集まりますが、

その多くの結果は投稿どころか執筆されることすらないことが多いです。

 

どうやっているのか?を見ていると、どうもいくつかパターンがある。

 

対策

  1. 査読がゆるふわで早いOpen accessに投稿するのに厭わない
  2. 複数の学生に一貫したプロジェクトをやらせ、合わせ技一本で出す
  3. そもそも論文になりもしない研究テーマ・アプローチは触らない

 

特に、1の踏ん切りは大事だと思った。

僕は、研究開始当初から、IF3以下は投稿しないと勝手に自分ルールを作っていたのだが、今年破った。IF2.5。少しくやしい。

ひとこと言うと、普段IF5かそれ以上を狙っていると、IF2台は至極簡単に通る、ということだ。査読者が一流ではない臭いがすることがある(失礼)。

なんにせよ、全ての原稿をインパクトの高い学術誌に出すのはほぼ無理なのだ。

 

2は、結局執筆能力とは関係ないので亡霊を増やしかねないという危険もあるが、

以前やった研究成果を踏み台に、対象規模を大きくしてあげるという手もある。

ただ、この選択肢は、トピック自体がまだ新奇性があると信じられる場合に有効。

 

3は、こんなん言っちゃどうしようもないでしょうよ感もあるが、

結局論文をスムーズに出すには、そもそも研究計画段階で、

結果がどうであろうが新奇性は高く、面白い、かつ手法はRobust、という

イデアをしっかり練っておかなければならないのだ。

最近思うが、研究の成否は、最初の計画段階でほぼ決まっている(分野によるが)。

計画段階は、研究全体の比重のうち50-70%くらい占めていると考えてよい。

 

 

 

いつか除念師になりたい。

ポスドクあるある(その1):論文が書けない!~アイデアがまとまってないよ編~

良い研究者は良い書き手である

全ての人にあてはまるわけではないですが。

Google scholarなどで簡単に膨大な数の論文に出会える昨今、

大事な事を言っていようが難解で理解に苦しむ論文は、敬遠される傾向にあります。

本当に大事であれば、遅かれ早かれ誰かが読み解き、徐々にその論文は読まれるようになると思いますが。

やはり時間がない情報社会、キャッチ―で読みやすく、コンパクトにまとまったものが好まれる。必然的に、論旨が明快なものが理想とされています。

 

とある本では、「読んだ2年後でも、その論文が何について主張していたかを多くの読者が思い出せるものが理想だ」と書いてありました。いい基準だと思います。

 

「この論文は何したの?」と聞かれた時に、本人が2-30秒くらいで説明できないと、たぶんその論文はうまくまとまっていません。

 

僕も投稿前はいまいちだめで、査読者とのやりとりを通して、ようやく自分の主張したいことを再発見というか。とにかく自分のやっていることを学術的な文脈にのせるのに、非常に苦労しています。

 

ここで、文章書きの才能の差、が如実に出ます。

または、読者を惹きつける、良いストーリーテラーでなくてはならないでしょう。

一方で、誰が読んでも誤解のない、慎重で明瞭な文章が求められます。

 

 

それ、アイデアがまとまってないよ。

「論文が書けない」

「結果は出たけどまとめるのが難しい」

「そもそもどう書き始めよう・・」

「書いても書いても修正しないと気が済まない・・」

これは半人前研究者あるあるだと思います。

 

逆に、うちのボスとか、知り合いのすごい頭いい若手の人は、

1週間以内でぱぱっと書いちゃったりします。この差はなんだ?!

 

これは、「文章が書けない」のが理由じゃないと思うんです。

「自分の研究の新奇性とインパクトが自分でも良く分かっていない」からだと思うんです。

 

じゃーなんで分からないのさ、と更につっこむと、おそらく、

「背景知識が圧倒的に足らないから」

だと思います。ですよね?

自分がやっていることがどう新しくて、学術的に面白いのか分からない。

 

 

イデアがまとまってないよ!の対策

結局、書こう書こうと苦しむよりは、背景知識を読み返した方が、早いのかも?

「この有名論文は自分の研究の根幹だよなぁ」という論文は必ず誰しもあるはずです。

それを引用している最近のレビューを探して、見つかったらラッキーですね。

 

なければ、関連文献をもう一度眺めなおして、

「結局ひとことで言うと、僕のこの研究は何が新しくて面白いのかい?」

と自分に問いかけてみる。もしくは他の人に話してみてウケるかどうか。

 

これが出来たら、とりあえずその正誤の程は査読者が評価するにせよ、

多少は書きやすくなるような。。。

 

 

 

ポスドク・研究者とビットコイン

低収入のポスドク生活

ドイツではポスドクは比較的ポスドクの待遇が良い方ですが、

基本的にはポスドクというのは給与が総じてやや低い傾向にあります。

日本のとある学術分野のメーリスなんかで、月16万とかで募集しているのを見て、

愕然としたのを今でも覚えています。保険とかも自己負担だし。

これを高学歴ワーキングプアとして足元見られていると考えるのか、

はたまた好きなことに関われて、自分のペースでやれて給与がもらえるなんてありがたいと考えるのか、

まぁポスドクそれぞれ思うところがあるでしょう。

 

ポスドクは下積み期間であり、お金はしょうがない

・・というのは大多数の共通見解だと思います。

ただ、それでいいのか?という疑問が僕はぬぐえません。

だって、家庭持つのとか、貯蓄がないと不安になるじゃないですか。

 

頭いいんだったら、その頭脳を使ってお金も楽して増やすべきではないのか?

 

ビットコインに賭ける

以前も書いたんだけど、僕はビットコインを筆頭にその他いくつかの仮想通貨に投資をしています。

masahiroryo.hatenablog.com

 

積立みたいなもんです。毎月ある程度の決めた額を、給与から仮想通貨に両替しておくのよ。

 

で、勝手に増える。とんでもないスピードで:

jp.cointelegraph.com

今年に入った当初、ビットコインは10万円でした。今は10倍の100万円。

 

・・・もう遅いんじゃないのか?

という話は良く聞きます。調べてみると、2012年くらいから

ビットコインはバブルだ。もうすぐ終わる」と言われ続けてきたそうな笑

で、まだ世界全体の投資家たちの総投資額からしたら、

カスみたいなもんです。ビットコインの総額は。

で、12月半ばには、これまでの倍以上の資金が流入すると言われており、

これまで個人投資家だけが買っていた流れが、大きく変わります。

機関投資家(企業ら)がドカドカ参入してくるからです。

要は、まだ成長に終わりは到底見えない。

来年はまだまだ余裕圏内で価値が増え続けることでしょう。

 

ポスドク

僕は清貧を良しとはしません。

ある程度までの給与(文献によるが年収700万ー1000万)と幸福度は正の相関を持つそうなので、

僕はお金を増やすことにも真剣になってよいと思います。

国の財布に頼るだけじゃあ、危なすぎるし、もったいない。

 

 

・・・という観点もありますよ、ということで。

さて、論文投稿頑張らねば。

 

 

研究者あるある:論文が掲載決定された時に思う事

意外と興奮しない

これは多くの研究者が感じるところなのではないでしょうか。

特に最初の数本が国際誌にAcceptされた時は、興奮冷めやらず、

なんどもAcceptの連絡を読み返したりしたものでした。

「ついに自分も国際レベルの研究者に仲間入りだ・・!」なんて。

 

でも、慣れてきちゃうんですよね。むしろ、嬉しいというよりかは

あぁ、このプロジェクトにやっと終止符が打てた。。。」という安堵感。

掲載決定っていうのは、査読の2順目あたりからほぼ時間の問題みたいな見当がついてしまうんですよね。

なので、Acceptの当日は嬉しいけど、次の週にはすでにその感慨はなくて、

「これで次の(山ほどある)研究に労力をより割けるな」と次のことしか考えられない。

 

むしろ最初のMajor revisionに興奮する

人によっては戦略が違うと思いますが、なるべく良いジャーナルに投稿しますよね。

特に出来たてほやほやの論文原稿って、なんかものすごく完成度高く見えてしまう。

でも実際はそんなことなくて、これはいける!って思ってかなり良いジャーナルに投稿してみて、すぐEditor reject、もしくは査読に回ったがReject、なんてことがほぼ毎回です。

 

このギャップは人間、心理的に痛い。

僕「こんなすごい研究成果がまとまった!読んで!」からの

査読者「新奇性が伝わってこない」

Editor「うーん、Reject!!」

僕「ええ・・・(でもたしかに的を射てる指摘ね、直さなきゃ)」

 

これは辛いです。でも、なんどかRejectを受けたあとのMajor revisionは、

僕「おいおい、この原稿そんなに価値ないんかい・・涙」

査読者「キラリと光るものはあるが、まだまだ改善したまえ」

Editor「うーん、Major revision!!」

 

とくると、否定され続けたものが、誰かに一部認めてもらえることになって、

それはもう嬉しいわけです。

そりゃね、人間ですから。半年とか1年かけて計画練って、実行して、紆余曲折経て文章の形にして、誰かに読んでもらう限りは、認めてもらいたいですよ。

 

というわけで

「むしろRejectからのMajor revisionに興奮する」

なんかヤクザが最初こっぴどくしてその後少し優しくすると、された側は喜んで言う事を聞くいうテクニックを連想してしまった。そうすると、学術誌はやーさんか。

価値ある論文ですよと売り込むはずが、お金を払って掲載していただく、というのもやくさにお祭りのみかじめ料を払うのと一緒か。そーか、そーか。